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熱闘!日本シリーズ 1986 西武-広島
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新時代の幕開け |
第8戦、西武が1点リードを奪った直後の8回裏、まだ日本一に貢献したことのない工藤はストライクが入らなくなってしまい、マウンドで大粒の汗をだらだら。もうだめかと思われた、その表情が入っていないのが惜しい。それでこそ直後の山崎のセンターライナー、ダブルプレーのシーンが生きるのだが。同点ホームランの秋山がうれしさのあまり(彼がプロ生活で初めて打った「値千金」の一発だった)、バック転ホームイン。もちろん貧打チームの芯棒となった怪物・清原の活躍も忘れられないが、引退直前の大田が意表を突く盗塁でブコビッチの決勝打を呼ぶ。工藤、郭を中途から抑えに回した森監督の軌道修正が成功。ここからヤング・レオの躍進が始まった。広島は高橋慶彦の再三のエラーが.....。
■読売ジャイアンツ 三本柱
藤田元司は投手陣を中心に守備力を重視した野球を展開し、通算7年間の監督在任中に4度のリーグ優勝、2度の日本一に輝いた。この藤田野球に欠かせない存在だったのが「三本柱」といわれる、3人のローテーション投手である。
1981年からの3年間で中心となったのは江川卓、西本聖、定岡正二。西本は松山商業高等学校からドラフト外で入団したものの、持ち前の反骨心で同い年の定岡、法政大学から入団した江川と肩を並べるまでに成長した。定岡は1985年の引退までに51勝、江川は1987年の引退までに135勝、西本は中日ドラゴンズに移籍する1988年までに126勝(最終的に165勝)の成績を残している。
1989年からの4年間で中心となったのは斎藤雅樹、槙原寛己、桑田真澄。斎藤は安定感、槙原は球威、桑田は投球術と、それぞれ違った持ち味を発揮して白星を積み上げていった。斎藤(180勝)、槙原(159勝56セーブ)は2001年に揃って引退したため、現役は桑田(173勝)のみであったが、2006年末にジャイアンツを退団、ピッツバーグ・パイレーツにて大リーグ入りを目指すこととなる。
引用: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

