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熱闘!日本シリーズ 1992 西武-ヤクルト
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翌年へのプロローグとして、あるいは… |
もしも、ヤクルトファンならば、第1戦・杉浦の代打サヨナラ満塁本塁打を観るだけでも十分に価値のある一枚だと思う。また、翌年以降10年間で4度の日本一を達成するヤクルトの礎となったシリーズとして観ることもできるだろう。
一方、このシリーズを制し、円熟期を迎えた森体制下で6度目の日本一を達成した西武。
確かに、同一カードとなった翌年のシリーズのプロローグとして捉えることもできる。しかしながら、この7戦に渡る激闘を通して観れば、一つの完結したドラマであるということがよくわかるだろう。
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西武の出るシリーズが楽しみだつた |
命運を決したのは第4戦。それまでに2勝1敗と勝ち越した西武だが、第2戦のアクシデントで郭が登板不能となり、この試合を落とせば、第5戦予定の渡辺久はすでにヤクルトに打ち込まれてゐるので、先発が不在の第6戦で逆転負けを喫する可能性があつた。渡辺智が早々につかまり、どうなるかと思はせたが、第1戦で満塁サヨナラ弾を打たれた鹿取が、シーズン中は3回が最長だつたのに、5回3分の1をリリーフ、秋山の一発を守り抜いた。これで西武はエース石井が控へる第7戦に持ち込むことができた。戦略的に鹿取は殊勲甲の働きだつたのである。
また秋山はシリーズでは毎度のことながら、弱点を徹底的に攻められ苦しんだ。しかしそのうち相手が油断し失投すると、手痛い一発をぶちかます。といふことがこの時も繰り返された。相手は3番でも安パイだと思つてゐるからショックが大きい。「出たあ」といふ感じがひとしほ深いこのホームランが私には楽しみだつた。
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名勝負! |
デストラーデが「これ以上エキサイトなシリーズがあるなら教えてくれよ」と試合後に叫んだという、伝説の闘いです。
これぞ、「プロ野球」。
秦の一撃。辻の神業。岡林の意地。清原の怪力。冴える野村采配…
お見逃しなく!
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日本シリーズ史上最高の決戦 |
私は、球団創設以来の西武ライオンズファンである。このシリーズは、一番印象に残っている。両チームの選手が死力を尽くして戦った最高傑作である。このシリーズは、西武ライオンズの石井丈浩のパームボールと伊東勤の好リードとが冴え渡っていた。最終戦の1−0の決着は見事というほかない。西武森、ヤクルト野村両監督の知恵の絞りあいは見事、一見の価値はある。巨人だけが野球チームでは、ないことを思い知らしてくれる。本当の野球の醍醐味を知るために、ぜひとも、アンチ巨人、巨人ファンの区別なく真の野球ファンに一見することをお勧めする。
西武大塚の好走は、驚嘆に値する。ホームラン打者だけを並べるだけが野球ではないことがわかるはずである。ちなみにこの年に東京学館からヤクルトに入団し、現在メジャーにいる石井は、かなりノーコンだが、デビューして西武相手に好投している。
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落日の最後の輝き |
森、野村監督の知恵比べといい、プレーの質の高さといい、シリーズ史上最高の勝負。ヤクルトのローテーションが岡林−荒木−石井であることを見越した西武は、工藤−郭−石井の順で臨むつもりだった。エース岡林は調子の悪い工藤であしらい、ヤクルトの力が落ちる2、6戦、3、7戦に好調の郭、石井を回して優位を保とうともくろんだのだ。ところが開幕前に工藤が故障、4番手の渡辺久を充てなければならなくなった。それでも楽に勝てるはずだったのが、第2戦、郭のアクシデントで......。両軍ともピッチャーが底をついた第6戦が悲惨。外角低めに逃げる変化球で打ち取られ続けた秋山が、第7戦、ついにその球をとらえ決勝点を上げる。黄金期西武最後の日本一。
■読売ジャイアンツ カラーテレビ用ユニフォームその1
1957年、ジャイアンツ正力松太郎オーナーが会長を務める日本テレビがカラーテレビ試験放送を開始した。正力はカラーテレビを普及させるためにジャイアンツのユニフォームを変更した。
最初の変更は1959年9月。袖のオレンジ×黒×オレンジのライン、背番号、胸の「GIANTS」の縁取りが赤に変更された。しかしこの変更はホーム用のみでビジター用は従来通りのユニフォームが使われたため、ファンにも気付かれることのないままこの年の公式戦終了と同時に元のユニフォームに戻された(南海ホークスとの日本シリーズでは元のユニフォームが使用された)。
引用: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


